天然真珠の歴史は古く、ヨーロッパでは紀元前にすでに装身具として使用されていたようです。
真珠は天然のままで宝石としての美しさ、価値を持っていますが、他の宝石は人の手を加えて
初めて宝石の価値が生じます。従って真珠は人類が手にした始めての宝石といっても過言では
ありません。
現在では宝石の王・ダイヤモンドに対して真珠は宝石の女王といわれておりますが、ダイヤモ
ンドが研磨できるようになったのは西暦1450年ごろですから断然歴史は違います。
また、中国では真珠を漢方薬としても珍重されていました。美人で有名な楊貴妃は、真珠を
石薬としていつも口に含み、のんでいたため、いつまでも美しかったといわれています。
ホントかな?
昔の人は、真珠を「月のしずく」とか「人魚の涙」などとロマンチックに表現し、神秘な玉として
貴んできました。これは昔も天然真珠は非常に少なく、当時の人たちの関心が高かったことが
伺えます。ですから、真珠にまつわる伝承や物語、記述、史実が数多く残されています。
たとえば、古代インドの神話には「大気は虹を、大地はルビーを、海は真珠を、それぞれ神に
供え、虹は神の後光となり、ルビーは神のひたいを飾り、真珠は神の心に飾られる。」との言い
伝えがありました。
また、インドのヒンズー教では真珠は高貴や富、健康、長寿の象徴とされ、最も尊敬されている
神が深海にいる怪物と戦って勝ち、取ってきた真珠で花嫁を飾ったという伝説があり、インドの
女性は婚礼のときに真珠で身を飾るようになったといわれています。
ところであなたは、「クレオパトラの真珠」を知っていますか? これは真珠にまつわる有名な
逸話です。それは西暦前40年ごろエジプトの女王クレオパトラ(前69〜前30年)が古代ローマの
侵攻よりエジプトを守るため画策をしていたころです。古代ローマの支配者の一人マルクス・
アントニウス(前82〜前30年)は彼の敵にクレオパトラがひそかに援助の手を差し伸べている
ことを知って、クレオパトラに謝罪を要求してきました。そこでクレオパトラは持ち前の美貌と魅
力でアントニウスを丸め込んでしまおうと考え、彼を招待して豪華な宴を開きました。アントニウ
スが宴会の費用を聞いたのに対し、クレオパトラは非常な高額を答えました。「そんなに費用が
かかっているだろうか?」と半信半疑でいるアントニウスの胸のうちを感じ取ったクレオパトラは、
耳飾りにしていた大きい真珠の片方を酢で溶かして(ワインという説もある)飲み干し、さらに片
方の耳飾りもはずそうとしたので、アントニウスは押しとどめて和解したということです。当時でも
まれにしか採れなかった真珠は途方もなく高価で、大きいものはなおさらであり、アントニウス
だけでなく宴に連なる人々も大変驚いたというお話しです。
天然真珠は貝の体内に偶然入った異物が体外に吐き出されず、貝が分泌する真珠質によって
取り巻かれたもので、偶然が重なっての産物です。これに対して養殖真珠は貝の体内に人工的
に異物(核)を挿入して真珠質を巻かせたものです。したがって、天然と養殖の違いは、異物が
自然に入ったか、人工的に入れたかの違いといって良いでしょう。
養殖真珠の研究は、中国では11世紀に淡水産二枚貝であるカラスガイを使って半円真珠を
作ったり、ヨーロッパではドイツの動物学者アルベルデスが1881年に注射器で貝の体内に移植
して真珠を作ることに成功しましたが産業化できず、この研究を最後に西洋での研究は途絶え
ました。
日本では、御木本幸吉がアコヤガイ養殖を手がけ始めたのは明治21年、失敗にくじけず試行
錯誤を繰り返し、養殖できることがわかっても育てた貝が真珠を抱くようになるまで4年はかかる。
真珠にすべてをかけた御木本幸吉は1893年(明治26年)三重県鳥羽の相島(おじま、現在の
真珠島)で養殖真珠に成功し、その商才と多くの人々の協力で真珠養殖技術を産業体系に育て
上げました。
その過程で御木本幸吉がロンドンで養殖真珠を売り出したところ、1921年にスター紙が「詐欺
的な真珠だ」と報じ、英仏などの宝石商が排斥運動を始め、パリの宝石商組合が訴訟を起こす
騒ぎとなりましたが「養殖真円真珠は天然のものと本質的に変わるところがない」とのオックス
フォード大学ジェームズ教授の意見が「ネーチャー」紙に発表され、養殖真珠は裁判に勝ち、この
結果、世界市場に認められるようになりました。

